リンカーンセンター、エイヴェリーフィッシャーホール
NYフィルハーモニー(以下NYP)
指揮:ローリン・マゼール
ホルン:フィリップ・マイヤース
プログラム:
全リヒャルト・シュトラウス作品
アルプス交響曲 Op 64
ホルン協奏曲第1番 変ホ長調 Op11
ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯 Op28
中々面白いプログラムです。前回のMETに続いての「ティル~」ですが、アルペンシンフォニーもホルンのコンチェルトも聴きごたえのある作品です。
3年ぶりとなるローリン・マゼールはNYの聴衆人気が高い指揮者の一人です。
師匠に挨拶に行った際、マゼールについて少し聞いてみると、しっかり振るタイプの指揮者なので、演奏はしやすいとの事。ただ、音楽に没頭してしまう傾向にあるらしく、そこはどうかな~、なんだそうです。(笑)
リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)は1900年代のドイツにおいて、マーラーとともに歴史的に重要な役割を果たした作曲家の一人です。
しかしマーラーが標題的な要素を作品に出してはいるものの伝統的な交響曲に固守した反面、シュトラウスは急進的なロマン的音楽である交響詩に魅せられていきました。そして彼が主として範としたのが、ベルリオーズとリストでした。シュトラウスは交響詩とオペラの作曲家として、今日よく知られるところですが、多くの優れた交響詩作品を残しています。
彼の交響詩には2種類のパターンがあり、一つは“哲学的”なもの(一般的な理念や情動の領域に属するもの)で、リストの交響詩に良く見られる傾向です。
もう一つが“叙述的”なもの(作曲家が音楽外的な出来事を表現するもの)で、ベルリオーズの作品に多くみられます。
前者の作品で最も優れたものとして「死と変容」(1889年)、「ツァラトゥストラはこう語った」(1896年)が知られています。後者の作品としては、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」(1895年)と「ドン・キホーテ」(1897年)がよく知られています。絵画的な作品として知られる「アルペン交響曲」(1915年)は以前の交響詩に比べると様式の点で一層単純化され、半音階的ではないのが特徴です。
このアルペン交響曲は一見派手さもないし、単純な様に聞こえてはくるのですが、大変高い演奏技術が求められます。前回のMETのレポートでも触れていますが、シュトラウスの作品は特に管楽器に重要な演奏能力が求められるのです。特にトランペットの一番は技術的にも大変だし、ハイノートも沢山出てきます。最高音でHigh Dが普通に出て来るので演奏するのに一苦労です。
しかしそこは天下のNYPブラスセクション、大変さなど微塵も感じさせません。ハイノートに至ってものびやかで輝かしい音を聞かせてくれます。
ホルンのこの協奏曲はホルンを学ぶものであれば一度は必ず演奏しているであろう、有名な協奏曲の一つです。
シュトラウスの父フランツ・シュトラウスがホルン奏者だった影響もあり、彼は2曲のホルン協奏曲を書いています。この第1番は1882年から83年にかけて作られたもので当時シュトラウスは18歳でした。
まだ後の交響詩等を手掛ける前の段階で、作品としては保守的でモーツァルトやメンデルスゾーン、シューマンからの影響を指摘する研究者が多いのも納得です。3楽章形式で作られていますが、演奏は切れ目なく行われます。
今回のソリスト、マイヤースは言わずと知れたNYPの首席奏者ですが、前プロでアルペン交響曲、ホルン協奏曲、最後のティルとぶっ続けで演奏しています。もうそれだけで感服です。
最後のティルは前回METに続いて2度目でしたが、演奏者や指揮者が変われば、これ程まで違う音楽になっていくのだな~と感銘を受けました。
個人的にはマゼールの音楽の方がより活き活きしていて、曲の流れがテンポよく収まり好みでした。TPの音色はそれぞれがクオリティーの高いもので甲乙つけがたい演奏でした。
久しぶりにリヒャルトの世界を満喫したコンサートでしたが、学生時代に沢山の管楽器の学生がリヒャルトのエクセプト(日本ではオケスタと呼ばれています)を必死になってさらっている様が思い起こされ懐かしくもありました。
改めてリヒャルト・シュトラウスを演奏することの大変さが身にしみて感じた一夜でした。